労災のケーススタディ1

Last Updated on 2021年7月28日 by

会社の階段から落ちてしまった

架空の例をもとに、労災について解説します。

主役は、事務員のキノコさんです。

キノコさん階段から落ちる

キャベツ課長がキノコさんに声をかけました。
「キノコさん、古い資料をまとめておいたから、あとで倉庫にしまってきてね」
「は~い」
資料の束をかかえて部屋をでていくキノコさん。その直後、キノコさんの悲鳴「きゃ~~」。そして、ドタン・・・・・・という鈍い音。
あわてて部屋を飛び出したキャベツ課長が見たのは、階段の下に倒れているキノコさんです。
「どうした!だいじょうぶか」
声に反応してキノコさんがゆっくり起き上がりました。
「あ、大丈夫です。あ~痛い。でも大丈夫」
「本当に大丈夫か」
「いや、大丈夫ですから。少し休んでいればなおります」
「そうか、じゃオレは戻るよ」

キノコさんはひとりで病院へ

キノコさんは階段から落ちたのが恥ずかしかったので大丈夫と言いましたが、その場で少し休んでいると、左肩が激しく痛みだし、吐き気さえ感じます。右足首もはれてきました。
ようやくの思いで事務室に戻り、課長に言いました。
「すみません。やっぱり痛いです。病院に行ってきます」
「なんだ、やっぱり行くのか。しかたないな~」
キノコさんはタクシーを呼び、一人で病院に向かいました。

病院で

足を引きずりながら受付に向かい説明しました。
「会社で階段から落ちてしまって、肩と足が痛いんです。これ保険証です。」
「さ、どうぞこちらへ」

診察を受けてレントゲンをとったところ、上腕の骨が一部折れていると説明されました。
「足はひねっただけですね。テーピングしておきましょう。肩の方はちょっと時間がかかりますよ。今日はコルセットで固定しておきました。明日も来てくださいね」

キノコさんは、気落ちして待合室にもどって受付でたずねました。
「ありがとうございました。お会計をお願いします」
「キノコさん、仕事していてケガしたんですよね。ロウサイですからおカネはいりません。明日、この書類を持ってきてください。会社の人に書いてもらうところがありますからね。ここです。」
「エッ? ロウサイ?ですか」

労災というのは、「労働者災害」を略した言葉です。労働者が業務上で災害にあうことです。キノコさんの場合は、勤務時間中で、会社の中で、上司の指示による仕事をしていたときのケガなので、たとえキノコさんにボンヤリしていたなどの過失があったとしても、問題なく労災に認定されるケースです。

仕事中のケガに健康保険を使えば健康保険法違反になります。病院窓口に労災であることを伝えて、労災保険給付請求書を出します。

労働基準法75条
労働者が業務上負傷し、又は疾病にかかった場合においては、事業主は、その費用で必要な療養を行い、又は必要な療養の費用を負担しなければならない。

この条文によって、業務上災害の費用を事業主が持つ義務が課せられています。休業補償の義務、障害補償の義務、遺族補償などについても同様です。これらの補償責任は、事業主に過失があってもなくても事業主が100%負担しなければなりません。

労災保険は、事業主の負担を肩代わりするための保険ですから、保険料は全額事業主が負担します。個々の労働者は1円も負担する必要はありません。

これは、事業主にとってとても重い負担です。そこで、万一に備えて保険料を拠出することで、事業主の負担を肩代わりする保険制度として労働者災害補償保険=労災保険が創出されました。つまり、労災保険は、労働者のための保険ですが、事業主のための保険でもあります。一般に「ロウサイをつかう」というときの「ロウサイ」はこの労災保険を意味しています。

翌日、会社で報告

キノコさんは休もうかと思ったのですが、ロウサイの書類も作ってもらわなければならないので、無理して出社することにしました。

「昨日はすみませんでした。腕の骨が折れているんだそうです。今日は休んでいいですか?」
「そうか、でも元気そうだし、明日は出てこれるんだろ。忙しいんだから右手だけでもできる仕事をやってよ」
全然気づかいのない態度にムッとしましたが、気持ちを押さえて書類をお願いしました。
「ハイ、なるべく出てきます。それで、ロウサイだからこの書類を出してほしいと言われたんですが」
「なに、自分の不注意だろう、なんで労災なんだよ。会社で転んだなんて言っちゃだめなんだよ。しょうがないな。」
キャベツ課長は文句たらたらです。
「そんなものオレは分からないから総務に話してよ」

キャベツ課長は労災にしたことを批判しているようですが、これは間違いです。労災にあたるかどうかは、会社が決めるものではありません。国の運営する保険ですから、国(労働基準監督署長)が判断することです。

事業主は、経験や知識から判断して、この場合は受給できないだろうと思っても、手続きをじゃましてはいけません。アドバイスがだめとは言いませんが、申請を妨害されたと損害賠償を請求されるおそれもあります。

総務で

「あの~。これお願いしたいんですが」
「はい、あ、労災の申請書ですね。いつケガしたんですか?総務には届け出がありませんでしたけど」
「昨日です。すぐタクシーを呼んで帰ったので、早退の届もだしていませんでした。後で持ってきます」
「いや、いいんですよ。あなたはケガをされたんだから仕方ないです。誰もいなかったんですか?」
「キャベツ課長がいました」
「そうですか、キャベツ課長ですか~」

そのあと、総務の人からケガをしたいきさつを聞かれ、説明しました。

「じゃ、このように書いておきましたから。一応、キャベツさんに見せてくださいね。そのあと、直接病院に持って行ってくださいね」

労災保険を申請するのは労働者本人です。会社ではありません。ただ、給付申告書には事故の状況を記載する欄があり、この部分に事実を確認した人を明記しなければなりません。労災保険給付の申請は本人がしなければなりませんが、会社は、本人とは別に、労働基準監督署に労働者死傷病報告書を提出する義務があります。

キノコさん、容体が悪化して入院

その夜、キノコさんは肩の痛みと発熱で、まんじりともせず夜を過ごし、朝一番に病院に行きました。
「すごく痛くて、眠れなかったんです」
「痛み止め効かなかったですか。あ~はれていますね。折れたままで無理して動いたのが良くなかったですね」

大事を取って入院となりました。あれやこれやで、結局、休みは3週間に及びました。

労災で休んだ場合には、労災保険から休業補償がでます。平均賃金の8割が補てんされます。

キノコさん復職

その後、ようやく出社することができましたが、まだ動作は不自由です。そのせいか、出社早々、仕事上のミスをしてしまい、キャベツ課長から怒られてしましました。
「なんだ、しっかりしろよ。長いこと休んで怠け癖がついたんじゃないのか!」
キノコさんはむっとして言い返しました。
「別に怠け癖はついてませんけど」
「なんだ、自分のミスを棚に上げてその態度は!やる気がないならさっさと辞めてもらった方がいいんだぞ」

退職届を出す

体調が悪くてイライラしていたこともあり、また、ケガ以来のキャベツ課長の冷たい態度に不満がつのっていたことから、翌日、キノコさんは一身上の都合ということで退職願をだしてしまいました。退職願はあっさり受理されて、キノコさんはますます面白くありません。

労災にあった労働者については、その休業中、およびその後30日間は解雇することができません。たとえ、労働者が悪事をはたらいたとしてもできません。ただし、キノコさんのように、自分から退職を申し出たときはこの限りではありません。

友人とランチしながら

「あの時、たしかにわたしが大丈夫とは言ったけど、階段から落ちたんだからもっと気をつかってくれても良かったと思うんだ。今思い出すと冷たい会社だと思うよ。それに、課長も少し休んだからって当り散らして、気分悪いったらありゃしない。休みたくて休んだわけじゃないのに。なんかくやしいなあ」
「無職になっちゃったしね。えらい損害だね。裁判をおこして慰謝料ふんだくったら」
「裁判って言ってもどうすればいいか全然わからないよ。」
「ほら、市役所で無料法律相談っていうの、やってるじゃない。あれに行ったらいいよ」
「うん、行ってみるか」

無料法律相談会で

「よろしくお願いします。実は、コレコレシカジカのことがありまして」
相談窓口にいた弁護士さんはやる気満々です。
「それはヒドイですね。骨折している人をほったらかして、自分でタクシーに乗って病院に行かせるなんて。付き添いもしてくれなかったんですね。」
「ハイ」
「それに、会社を辞めたそうですが、本当は辞めたくなかったんでしょう? 退職無効の訴えもあわせて出すこともできますね。」
「でも、わたし、あの会社ではもう働きたくないんですが」
「いやいや、それはそれとして、退職無効を争って、未払い賃金と退職金割り増しをゲットしましょうよ」
「そうですね。わたしも頭にきてますから、よろしくお願いします。」
弁護士さんは名刺を出しました。
「よし、がんばりましょう。それでは、わたしの事務所はここですから。明日の9時ころに来てください。ハンコを持ってきてくださいね」

弁護士事務所で

弁護士が示した委任状に捺印し、あとは任せることにしました。請求金額は弁護士のアドバイスで慰謝料として500万円を請求。さらに、退職はキャベツ課長の嫌がらせによるもので無効だと主張し、退職日から本件解決の日までの賃金全額も請求に追加しました。

会社に訴状が送られてきました

社長がキャベツ課長を呼んでいます。
「キャベツ、ちょっときなさい。これはなんだね。キノコさんは自分から退職を申し出たんじゃなかったのかね」
「はい。一身上の都合でと」
「でも、訴えてきたぞ。君に退職に追い込まれたと書いてあるぞ。どうするんだ」
「ハア・・・・・」

社長は、結局、知り合いに頼んで弁護士を紹介してもらい相談しましたが、相応の金額を払って示談することをすすめられました。

キノコさんの場合、会社が十分な救護活動を行わなかったために症状が悪化したということで、労働契約法の安全配慮義務違反、民法の契約不履行が成立すると主張することができます。

また、「やる気がないならさっさと辞めていいんだ」というキャベツ課長の発言は、やる気がないなら、という条件付きではありますが、労災による長期療養でナーバスになっているキノコさんに対して、退職をちらつかせているわけで、不法行為が成立する可能性が高い発言です。

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