Last Updated on 2025年7月25日 by 勝
競業避止義務とは?
まず、「競業避止義務(きょうぎょうひしぎむ)」とは何かを分かりやすく解説します。
簡単に言うと、「会社で働いている人、または会社を辞めた人が、その会社の事業と競合するような行為をしてはいけませんよ」というルールのことです。
なぜこのようなルールがあるのでしょうか?
会社は、日々事業活動を行う中で、顧客リスト、製品の開発情報、営業戦略、技術ノウハウ、仕入れルートなど、様々な重要な情報を蓄積しています。これらは、会社が競争に打ち勝ち、利益を上げていくための「宝物」のようなものです。
もし、社員や役員が、これらの秘密を使って、独立して同じような事業を始めたり、競合他社に転職して会社の秘密を漏らしたりしたらどうなるでしょう? 会社は大きな損害を被り、事業の継続が困難になる可能性もあります。
そこで、会社が健全に事業を継続し、競争力を保つために、競業避止義務というルールが必要になるのです。
一般の社員の場合
一般の社員にも競業避止義務はありますが、その効力は会社と結ぶ契約や就業規則によります。
在職中:社員は会社と雇用契約を結んでいる間は、会社の指示に従い、会社の利益のために働く義務(誠実義務)があります。そのため、会社の許可なく同業他社で副業をしたり、会社の顧客を横取りしようとしたりする行為は、原則として許されません。通常、就業規則にその旨が定められています。
退職後:退職した後は、原則として競業行為は自由です。しかし、会社との間で特別な「競業避止に関する合意(契約)」を結んでいる場合は、一定期間、競業行為が制限されることがあります。
この場合、期間の長さ、禁止される地域の範囲、禁止される業務の内容が合理的であること、そしてその制限に対する「代償措置」(例えば、競業しないことへの手当や退職金の加算など)が適切であることが、裁判などでは重要視されます。不合理な制限は無効と判断される可能性があります。
関連記事:一般社員の競業避止義務とは?知っておくべきルールと対策
取締役の場合
一般の社員の場合が「就業規則」あるいは「契約」に基づく義務であるのに対し、取締役の競業避止義務は、会社法という「法律」で明確に定められています。そのため、取締役は一般の社員よりも高度で厳格な義務を負っています。
取締役の「忠実義務」と「競業避止義務」
取締役は、会社の経営を任されている立場なので、会社に対して特に重い責任と義務を負っており、この一つが「忠実義務(ちゅうじつぎむ)」です。
会社法第355条(忠実義務)
「取締役は、法令及び定款並びに株主総会の決議を遵守し、株式会社のため忠実にその職務を行わなければならない。」
この忠実義務の一環として、具体的な義務として定められているのが「競業避止義務」です。
会社法第356条(競業及び利益相反取引の制限)第1項
「取締役は、次に掲げる場合には、株主総会において、当該取引につき重要な事実を開示し、その承認を受けなければならない。
一 取締役が自己又は第三者のために株式会社の事業の部類に属する取引をしようとするとき。(以下略)」
この条文の「一」の部分が、取締役の競業避止義務を定めています。
取締役の競業避止義務のポイント
上記の会社法356条1項1号を分解して解説すると、以下のようになります。
1.「自己又は第三者のために」
取締役自身が個人的に競業するだけでなく、他の会社(第三者)のために競業行為を行う場合も含まれます。例えば、競合他社の役員を兼任する、競合他社に情報を提供する、といったケースです。
2.「株式会社の事業の部類に属する取引」
これが非常に重要です。「株式会社の事業の部類」とは、単に会社が現在行っている事業だけでなく、将来的に会社が展開する可能性のある事業や、関連性の高い事業も含まれると解釈されています。
会社の定款に記載されている事業目的の範囲内で判断されることが多く、曖昧な場合はより広く解釈される傾向にあります。
3.「株主総会において、当該取引につき重要な事実を開示し、その承認を受けなければならない」
ここが一般の社員との決定的な違いです。取締役は、上記の「競業取引」をしようとする場合、事前に株主総会で、その取引の重要な事実(取引内容、相手方、取引額など)をきちんと説明し、株主総会の承認を得なければなりません。
承認を得ずに競業取引を行った場合、その行為は原則として無効であり、会社は取締役に対して損害賠償を請求したり、その取引によって取締役が得た利益を会社に返還するよう請求したりすることができます(会社法第423条、第429条)。
退任後の競業避止義務について
取締役の場合も、原則として退任すれば競業避止義務は消滅します。
退任後も競業避止義務を負わせたい場合は、一般の社員と同様に、会社と取締役の間で別途「競業避止に関する合意(契約)」を結ぶ必要があります。この場合も、その制限が合理的であること(期間、地域、業務範囲、代償措置など)が法的に有効となるための条件となります。
退任した取締役の競業避止違反に対して
原則として退任した取締役と競業避止に関する契約を事前に結んでいなければ、退任後に競合取引を行われたとしても、会社法上の競業避止義務違反を問うことはできません。
しかし、打つ手が全くないわけではありません。いくつか、法的に争える可能性のあるケースや、会社が検討すべき対処法があります。
契約がなければ会社法上の競業避止義務は消滅
先ほど解説した通り、会社法第356条の競業避止義務は、取締役の「在任中」に限定される義務です。取締役を退任すれば、この義務からは解放されます。
これは、取締役にも職業選択の自由(憲法第22条)があり、退任後に生計を立てるために働くことを不当に制限すべきではないという考えに基づいています。
そのため、退任後の競業行為を制限するには、会社と退任取締役の間で、退任後の競業避止義務に関する個別の「合意(契約)」が必要不可欠となります。
契約がなければ打つ手はないか
契約がないからといって、元取締役が会社の営業秘密を不当に利用したり、極めて悪質な方法で会社に損害を与えたりした場合まで会社が泣き寝入りするしかないわけではありません。
以下のような法的根拠に基づいて、対応を検討できる可能性があります。
不正競争防止法違反
退任した取締役が、在任中に知り得た会社の「営業秘密」を不正に利用して競業行為を行った場合、不正競争防止法違反として責任を追及できる可能性があります。
「営業秘密」として保護されるには、営業秘密の要件を満たす必要があります。
要件を満たす営業秘密を、不正の利益を得る目的や、会社の利益を害する目的で、不正に取得・使用・開示した場合、不正競争防止法違反となる可能性があります。
関連記事:営業秘密はどのように守るか
信義則違反に基づく不法行為責任
明示的な競業避止契約がなくても、元取締役の行為が「信義則」に反する極めて悪質な競業行為であると認められる場合には、民法上の不法行為(民法第709条)に基づく損害賠償請求が認められる可能性があります。
ただし、この場合、会社側が「違法性の高さ」と「損害の発生・因果関係」を具体的に立証する必要があり、ハードルが高いのが実情です。
会社法上の責任(在任中の義務違反)
退任後の競業行為そのものを問うのは難しいですが、「退任直前の準備行為」が悪質であれば、それは「在任中の取締役としての忠実義務違反(会社法第355条)や善管注意義務違反(会社法第330条、民法第644条)」として、損害賠償請求の対象となる可能性があります。
会社が検討すべき対処法
もし退任した取締役による競合行為が発覚した場合、会社は以下の点を検討すべきです。
証拠の収集:競合行為の事実、会社の営業秘密が利用されている証拠、会社に生じた損害(顧客の流出、売上減少など)に関する具体的な証拠を可能な限り収集する。
弁護士への相談:上記の法的根拠(不正競争防止法、不法行為、会社法上の責任など)に基づき、法的な措置が可能か、損害賠償請求や差止請求の見込みについて、専門家である弁護士に相談する。
警告文の送付:状況に応じて、まずは弁護士名義で警告文を送り、競合行為の中止や情報の返還を求めることも有効です。
まとめ
競業避止義務とは、会社で働く人や辞めた人が、会社の事業と競合する行為をしない義務です。会社の営業秘密やノウハウを守るためにあります。
一般の社員の競業避止義務は、主に就業規則や個別の契約によって定められ、退職後の制限には合理性が必要です。
取締役の競業避止義務は、会社法第356条によって明確に定められた、より高度で厳格な義務です。
退任後は、退任取締役との間で競業避止に関する契約がなければ、原則として会社法上の競業避止義務違反は問えません。
しかし、不正競争防止法違反、信義則違反に基づく不法行為、在任中の忠実義務・善管注意義務違反があれば、法的措置を検討できる可能性があります。
いずれの場合も、具体的な証拠収集と、弁護士などの専門家への相談が不可欠です。
したがって、取締役が就任する際や退任する際に、退任後の競業避止義務について明確かつ合理的な範囲で合意書(契約)を締結しておくことが、最も確実な予防策となります。