当社では、業務上必要な資格について、取得のための講習会費用や受験料などを会社が負担する制度を準備しています。その制度に、援助を受けてから短期間に退職した場合は返却させるという規定を設けたいのですが、法的に問題があるでしょうか?
はい、すぐに退職されてしまえば困るという気持ちは理解できます。しかし、法律上、特に労働基準法第16条(賠償予定の禁止)との関係で、制度の設計には注意が必要です。
法的な問題点
労働基準法第16条は次のような定めです。
使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない。
「一定期間内に退社すること」を「労働契約の不履行」とみなし、「研修費等の返却」を「違約金」や「損害賠償の予定」とみなされると、この規定に違反し、返還させる契約が無効となる可能性が高いです。
合法的に費用返還を求める方法
裁判例などから、返還合意が有効と判断されるための主要なポイントは以下の通りです。
1. 「貸付(金銭消費貸借契約)」にする
- 資格取得費用を会社が「貸し付け」、そのうえで「一定期間(例:2年、3年)勤務を継続すれば、その貸付金の返済義務を免除する(債権免除)」という形式(金銭消費貸借契約)にすることが、労基法16条違反を避けるための一般的な手法です。
- この契約は労働契約とは明確に区別して締結する必要があります。
2. 業務性の有無
貸付にする場合でも、業務命令でないことがポイントです。
- 業務命令として会社が命じた資格取得や研修の費用は、本来会社が負担すべき「経費」とみなされ、返還を求めることは非常に難しくなります。
- 返還が認められやすいのは、従業員が自発的な意思で「スキルアップしたい」と希望し、会社がその費用を貸し付けするケースです。
- 規程や契約書には、従業員の自由な意思に基づくものであることを明記し、実際にそのように運用することが必要です。
3. 拘束期間と返還額の合理性
- 上述の条件を満たした場合でも、準備返還免除までの勤務期間(拘束期間)が不当に長くないこと(例:10年など)が必要です。一般的に3年程度までであれば合理性が認められやすい傾向にありますが、個別具体的に判断されます。
- 返還を求める費用が、実際に会社が支出した合理的な実費の範囲内であること。
- 単に全額返還とするのではなく、勤務期間に応じて返還額を減額する(例:2年で退職なら全額、3年で退職なら半額など)という措置を設けることも、合理性を高めるために有効です。
この制度は、労使間のトラブルに発展しやすいため、導入にあたっては社会保険労務士や弁護士などの専門家に相談し、貴社の状況に合わせた法的に有効な仕組みを構築することをお勧めします。
「業務性の有無」について補足
会社側の「業務性」が強い場合は、法的リスクが高いので注意しなければなりません。もう少し詳しく説明します。
業務性が高い場合のリスク
前述したように、研修費等の返還合意が有効と認められるかどうかの最大のポイントは、その研修や資格取得が「業務の遂行に必要なのか(業務性が高いか)」または「従業員の自発的なスキルアップを会社が援助しただけなのか(自発性が高いか)」という点にあります。
法的な判断基準
- 業務命令・推奨の研修(業務性が高い場合):
- 会社の業務に必須、または強く推奨され、従業員に拒否の自由がない場合、その費用は実質的に会社が負担すべき「経費」とみなされます。
- この場合、退職時に費用の返還を求めることは、「退職の自由を制限する違約金」や「賠償額の予定」に該当する可能性が高く、労働基準法第16条により無効とされるリスクが非常に高くなります。
- 自発的な研修(自発性が高い場合):
- 業務に直結しない、あるいは将来的なキャリアアップのためのもので、従業員が完全に自発的に希望し、会社がその費用を金銭消費貸借契約として貸し付けた場合に限り、一定期間勤務しない場合の返還義務が有効と判断される可能性があります。
もし、会社が、従業員の資格取得について、「会社の業務に必要な資格」を「強く推奨」して費用を援助しているのであれば、実質的に業務命令に近いと判断される可能性が高いです。
たとえ形式上「貸付」の形をとったとしても、問題になるのは契約の実態です。業務上の必要性が高いと認められれば、「貸付」という形式は労基法16条の潜脱(法の適用を逃れるための手段)と見なされ、返還の合意が無効となる可能性が極めて高いです。
会社が取るべき対策
そもそも、辞めたいと思わせるような会社であることが問題ということです。費用の回収だけに目を向けるのではなく、資格取得をきっかけに、さらに頑張ろうと思わせるような施策を検討することをお勧めします。
資格取得をポジティブな動機付けとして、社員のモチベーションと定着率を高める具体的な施策について解説します。
資格取得後のキャリアパスの明確化
社員が資格取得に努力を払うのは、そのスキルが将来の自分の利益につながると信じられるからです。会社は、その「利益」を具体的に提示する必要があります。
- 昇進・昇格ルートへの組み込み: 取得した資格を特定の役職やチームリーダー昇格の必須条件または有利な要件として就業規則や人事評価制度に明記します。
- 専門職(スペシャリスト)制度の創設: 特定の高度な資格を持つ社員を「技術エキスパート」「上級コンサルタント」などの専門職として認定し、一般職とは異なる給与テーブルを適用します。これにより、資格取得が明確なキャリアアップに直結します。
- 難易度に応じたキャリアマップの提示: 「〇〇資格取得→〇〇業務担当→〇〇役職へ」といった、資格と業務、報酬が連動した見える化された成長マップを作成・公開します。
報酬・インセンティブの「後払い」化
資格取得費用を返還させるのではなく、取得した資格を業務で活用している期間にわたって報いる仕組みは、定着に有効です。
- 資格手当の継続的支給: 資格を取得した社員に対し、その資格が業務で活かされている限り、毎月の給与に資格手当を上乗せして支給します。
- ポイント: これは在籍しているからこそ得られる報酬です。退職すれば当然支給がなくなるため、退職防止に一定の効果が期待できます。
- 資格更新費用の会社負担: 資格によっては定期的な更新(講習や登録)が必要なものがありますが、在職中は会社がその費用を負担し続けることを約束します。
資格活用と貢献機会の創出
資格を取得しても、現在の仕事内容が変わらなければモチベーションは維持できません。新しいスキルを活用できる環境を提供することが重要です。
- 担当業務の変更・拡大: 資格取得をきっかけに、資格を活かすことができる責任ある業務を任せます。
- 社内講師・メンター制度: 資格を取得した社員を社内研修の講師や、これから取得を目指す後輩のメンターに任命します。
- 人に教えることで、自身の知識が定着し、社内での影響力や地位が高まることを感じられます。
これらの施策は、資格取得を「義務」ではなく「この会社で成長するためのチャンス」と認識させ、社員の自発的な努力と会社の成長を結びつける強力なツールとなります。

