脳・心臓疾患の労災補償について

労働災害

脳・心臓疾患の労災補償に関して新しい通達が出ています。基補発 10 1 8第1号令和5年10月18日「血管病変等を著しく増悪させる業務による脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準に係る運用上の留意点について」に基づいて、脳・心臓疾患の労災認定について主要なポイントを解説します。

労災認定の要件(過重負荷の分類)

この認定基準の目的は、動脈硬化などの血管の病変(血管病変等)を、仕事による過度な負荷(過重業務)が自然の進行を超えて著しく悪化させ、その結果、脳・心臓疾患(脳血管疾患・虚血性心疾患など)を発症させた場合に、それを労災として認めるための判断の目安を示すことです。

仕事による負荷が「過重であった」と認められるために、発症前の業務の状況を以下の3つのタイプに分けて評価します。このうち、いずれかに該当する業務による明らかな過重負荷があった場合に、労災として取り扱われます。

1. 長期間の過重業務

発症前おおむね6か月間にわたり、著しい疲労の蓄積をもたらす特に過重な業務に就労したこと。

  • 労働時間や不規則な勤務、出張、精神的・身体的負荷などを総合的に評価します。

2. 短期間の過重業務

発症前おおむね1週間において、特に過重な業務(例:極度の緊張を伴う業務など)に就労したこと。

3. 異常な出来事

発症直前から前日までの間に、発生状態を時間的・場所的に明確にし得る異常な出来事(例:極度の精神的緊張、肉体的負荷、急激な環境変化など)に遭遇したこと。

補足:長期間の過重業務

「発症前おおむね6か月間にわたり、著しい疲労の蓄積をもたらす特に過重な業務に就労したこと。」単に労働時間の長さだけでは認定されないことを意味しています。

労災認定における「発症前おおむね6か月間にわたる過重業務」の評価では、「著しい疲労の蓄積」を伴うことが非常に重要なポイントとなります。

1. 総合的な評価の必要性

労働時間は過重性を測る主要な要素ですが、認定基準は以下のような要素を総合的に評価することを求めています。

  • 労働時間: 異常に長い時間外労働や深夜労働の有無。
  • 不規則な勤務: 交代制勤務や時差出勤、不十分な休息など。
  • 出張: 長期間にわたる出張、移動による負荷など。
  • 精神的負荷: 業務に伴う強い心理的なストレス(例:重大な事故対応、責任の重い仕事)。
  • 身体的負荷: 重量物の取り扱い、高温・低温環境、肉体的に厳しい作業など。

長時間労働(例:残業時間)は、この「著しい疲労の蓄積」を判断するための客観的な目安として最も重視されますが、最終的な認定は、これらの要素が複合的に作用し、通常の業務では考えられないほどの心身の負担(すなわち「著しい疲労の蓄積」)があったかどうかにかかっています。

2. 客観的な判断の目安

ただし、現実の認定においては、労働時間が客観的な基準として非常に強く参照されます。目安として、発症前6か月間で、以下のような労働時間が一つの基準とされています。

  • 発症前1か月間に100時間を超える時間外労働
  • 発症前2~6か月間にわたり、平均80時間を超える時間外労働

この時間外労働は「過労死ライン」と呼ばれています。

これらの客観的基準に満たない場合でも、他の精神的・身体的負荷が非常に重いと判断されれば、「著しい疲労の蓄積」があったとして認定される可能性はあります。

したがって、労働時間の長さはあくまで「著しい疲労の蓄積」を推測・認定するための有力な証拠であり、その証拠が示す心身の負担(疲労の蓄積)が伴って初めて労災と認められる、ということになります。

補足:短時間の加重業務

この基準で認定されるのは、発症直前1週間の間に、長期間の疲労蓄積とは別に、急激かつ著しい心身の負担があった場合です。

1. 著しい身体的負荷

身体を酷使する業務が集中したことによる負荷です。

  • 極めて過度な身体的負担を伴う業務への従事:
    • 例:通常扱わないような重量物を、業務上やむを得ず連日長時間にわたって運搬し続けた。
    • 例:高温または低温の環境下での作業が、通常想定される期間や程度を超えて集中し、身体に大きな負担がかかった。

2. 著しい精神的負荷

業務に伴う強い心理的な緊張やストレスが短期間に集中したことによる負荷です。

  • 突発的な重大事態への対応:
    • 例:大規模なシステム障害や事故が発生し、その復旧や対応のために連日徹夜に準ずるような極度の緊張状態で作業を続けた。
    • 例:会社の存亡に関わるような緊急のトラブル対応や、顧客との重大な交渉が集中し、極度のプレッシャーのもとで業務を遂行した。
  • 著しい緊張状態の継続:
    • 例:人命にかかわる業務(例:手術、管制業務など)において、予期せぬ事態が発生し、1週間にわたり極度の精神的緊張を強いられる状態が続いた。

3. 長時間労働との複合

この「短期間の過重業務」は、長期間の疲労蓄積(6か月)と異なり、労働時間の長さそのものよりも「業務の質」に重点が置かれますが、短期間の極端な長時間労働が上記のような負荷と結びつく場合もあります。

  • 例:上記のような精神的・身体的負荷の高い業務を、発症前1週間にわたり連日16時間以上の労働を強いられた結果、心身が極度に疲弊した。

この基準は、労働者に「通常では耐え難いほどの負担」が短期間に集中し、それが直接的に脳・心臓疾患の発症に結びついたと判断されるためのものです。

補足:異常な出来事

「異常な出来事」は、発症前の業務による過重負荷を評価する3つの分類(長期間、短期間、異常な出来事)の中で、最も直前かつ突発的な負荷を評価するものです。

1. 認定される時間的範囲

  • 発症直前から前日までの間
    • 発症する直前、またはその前日という極めて短い期間に発生した出来事が対象です。

2. 認定される負荷の具体例

この分類で認定されるのは、「血管病変等を著しく増悪させる異常な出来事」であり、その性質から、その出来事に遭遇した労働者の心身に極度の緊張や著しい負荷をかけるものとされています。

  • 極度の精神的緊張
    • 例:生命にかかわる事故や事件に遭遇した、予期せぬ重大なミスやトラブルが発生し、その対応に追われたなど。
  • 著しい肉体的負荷
    • 例:極めて重い重量物を突発的に運搬した、通常業務ではありえないほどの過度な力仕事を行ったなど。
  • 急激な作業環境の変化
    • 例:極端な寒冷・暑熱の環境で、緊急的に作業せざるを得なくなったなど。

労働時間との関係

この「異常な出来事」の評価では、その日の労働時間の長さは直接の認定要件ではありません。

たとえその日の労働時間が短かったとしても、その短時間の中で「異常な出来事」に遭遇し、それが発症の引き金になったと医学的に判断されれば、業務起因性が認められ、労災認定の対象となります。

つまり、負荷の強さ(質)が、労働時間の長さ(量)を上回って重視されるのが、この「異常な出来事」のケースです。

労災申請のついての考え方

労働者にしても会社の担当者にしても、労災認定されるかどうかを正確に予測することは困難です。しかし、判断に迷う場合、認定されないのではないかという不安がある場合でも、まず、労災申請するという姿勢で全く問題ありません。

1. 最終判断は労働基準監督署が行う

労災の認定は、申請した労働者や会社が行うものではなく、国の機関である労働基準監督署が、医師の意見や関係資料、会社の調査などに基づいて最終的に判断します。

  • 労働者は、「もしかしたら業務が原因かもしれない」と思ったら、まずはその疑いを労働基準監督署に申し立てる権利があります。
  • 申請を躊躇して時間が経ってしまうと、当時の業務状況を示す証拠(タイムカード、記録、記憶など)が散逸し、認定が難しくなるリスクがあります。

2. 認定基準はあくまで「目安」

労災の認定基準は、全国で公平な判断を行うための一般的な「目安」です。

  • 個々の事案には、基準に明記されていない特殊な負荷や状況が存在する場合があります。
  • 申請することで、労働基準監督署がその個別の特殊な状況を詳細に調査し、基準の枠を超えて「著しい疲労の蓄積」があったと判断する可能性も開かれます。

3. 申請することによるデメリットは少ない

労災申請は、労働者の正当な権利行使です。

  • 申請した結果、認定されなかったとしても、労働者自身に罰則や不利益が生じることはありません(ただし、会社が申請に非協力的である、あるいは、虚偽の申請である場合は別です)。
  • 申請手続きには手間がかかりますが、その後の給付や補償を得られる可能性を考えると、不安や疑問がある状態であっても、専門家(社会保険労務士など)に相談しつつ、手続きを進めることが推奨されます。

申請時に重要なこと

申請の際は、判断を円滑にするために、以下の情報をできる限り正確にまとめておくことが重要です。

  • 発症前の業務状況:
    • 発症前6か月間の具体的な労働時間(残業時間、深夜労働時間)。
    • 発症前1週間の具体的な業務内容と負荷(短期間の過重業務)。
    • 発症直前の出来事(異常な出来事)。
  • 身体・精神の状況:
    • 発症前の疲労感や体調の変化を具体的に記録したメモや記録。
    • 医療機関での診断名と受診日。

不安がある場合は、迷わず申請を行い、必要な調査と判断を国に委ねるという姿勢が最善です。

改正の主なポイント(令和5年10月18日)

今回の通達(基発1018第1号)は、主に令和5年9月1日付けで改正された「心理的負荷による精神障害の認定基準」に伴い、脳・心臓疾患の労災認定基準における「心理的負荷」の評価部分を整合させるために出されました。

具体的には、以前の通達(令和3年9月14日付け基発0914第1号)で示されていた認定基準の別表2「心理的負荷を伴う具体的出来事」の内容を改めたものです。これにより、脳・心臓疾患の労災認定において、精神的ストレス(心理的負荷)を業務の過重性として評価する際の基準が、最新の精神障害の認定基準の内容と統一化されました。